館野泉氏の新たな旅

左手のピアニスト 館野泉

一志治夫の取材ノート
http://blog.eplus.co.jp/bosco/2005-08-08

 このサイトより左手のピアニスト館野氏を知った。記事は以下のようなもの。

 館野さんは、1936年生まれのピアニスト。東京芸大を首席で卒業したのち、フィンランドへ渡り、その後ヘルシンキをベースに世界中でコンサートを開いてきた。出したCDは100枚を超える。
 アクシデントが起きたのは、2002年1月のフィンランドタンペレのコンサートでだった。最後の曲を弾き終わり、ステージを去ろうとしたとき突然倒れたのだ。脳溢血だった。このときから館野さんの右半身は不自由になる。右手が使えなければピアニストとしては致命的だろう、と誰もが思う。しかし、館野さんは、1年半後、左手のピアニストとして復活を遂げる。左手だけで弾ける曲が世の中にはあることを知り、また、作曲家たちから続々と左手のための曲が提供され始めたのだ。以来2年あまり、館野さんは左手のみによる演奏を続けている。
 フィンランドで、館野さんはこんなふうに語ってくれた。
「いま自分では何の不足も感じていないし、不満とかもない。右手が戻ったらいいな、という気持ちも別にない。そりゃ、右手が戻って弾けるようになったら、それはそれでいいけど、それぐらいの気持ちです。音楽仲間なんかは”いつから弾けるようになるんだ”とか”いつになったら戻るんだ”と言うけれども、そういう気持ちは全然ないですね。左手だけでちゃんと音楽をやっている。左手でやるべきことはたくさんあるし、いろいろな作曲家がこういう機会に曲を作ってくれるので、それが本当にありがたいですね。
 とにかく自分は60何年の人生の中で、弾きたい曲というのはほとんど弾いてきちゃったしね、”いや、そういうものもこれから深めて”なんて言う人もいるけど、そんなことは思わないですよ。左手の世界は、何も人が思うほど不自由な世界だとか、狭い世界だとか、何か制限のついた世界だとか、そうじゃないんですね」
 そこで、その前向きの考え方に興味を持ち、館野氏のことを調べてみた。
 館野氏には生き方の3か条なるものがあるらしい。
 館野泉の3か条
 ①今いる場所を見つめる
  自分の置かれた場所を楽しみ、時々に出来ることをしっかりやる。常に前向  きに。
 ②好きなことは続ける
  好きな酒は、ほどほどに飲んでいる、我慢する方がストレスになる。
 ③焦らず、マイペースで
  早くできればいいというものじゃない。他人と比べるのじゃなく、自分をし  かっりと持ち、マイペースで。
 どれも当たり前のことだが、これをやるのは難しい。でも館野氏のように今もコンサートを続けている姿を見れば、力を与えてもらえるはず。
 近著『ひまわりの畑』(求龍堂刊)もご一読を。

風立ちぬ?ベスト・オブ・館野泉

風立ちぬ?ベスト・オブ・館野泉

ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲 / プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番 / ガーシュウィン: ラプソディ・イン・ブルー

ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲 / プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番 / ガーシュウィン: ラプソディ・イン・ブルー