葛飾北斎展にmoving on!

葛飾北斎展にMoving On!

 (写真はフーリア美術館、http://www.ayuko.com/DC11.html siteから引用)

 葛飾北斎展が、フーリア美術館と地下で繋がっているアーサー・M・サックラー美術館(ワシントン)で5月14日まで開催されている。この展覧会はフリーア美術館が所蔵する葛飾北斎の肉筆画コレクションと各国から集めた名品を公開するもの。日本における美の巨人を思う、作品が日本にないことも思う。

 (写真と記事の一部は、http://www.town.obuse.nagano.jp/hokusai/life/life.html siteから引用)
 北斎は、宝暦10年(1760年)、江戸本所に生まれ、安永8年(1779年)、勝川春朗の画号をもって浮世絵画壇に登場。役者絵や美人画、戯作の挿絵などに筆を揮いました。
 寛政6年(1794年)、俵屋宗理と号して自らの個性を自由に表出し始め、特に美人画では、憂いを含んだ宗理様式と称される画風を完成し、狂歌絵本や摺物に清新な若さ漲る佳作を遺す。
 寛政10年(1798年)、宗理の号を門人に譲った北斎は、北斎辰政と号し、以降どの画派にも属することなく、独立の画業を全うし、享和年間 (1801〜1803年)から洋風画の制作を試みた北斎は、文化年間(1804〜1818年)に至ると、長編小説の読本挿絵に筆を揮い、馬琴作「椿説弓張月」など近世文学に欠くことのできない作品を数多く手がけた。
 読本挿絵と肉筆画の分野に傾注した北斎は文化7年 (1810年)、画号を戴斗と改め、文化11年(1814年)「北斎漫画」初編を版行しました。これを期に北斎は、集中的に様々な内容の絵手本を発表。
 文政3年(1820年)正月の摺物に、北斎北斎改為一と署名しています。天保4年(1833年)まで続く為一号の年代には、生涯のうち最も錦絵に傾注した。「富嶽三十六景」、「諸国瀧廻り」、「千絵の海」、「詩歌写真鏡」など北斎の代表作とされる風景版画や花鳥画などは、その大半がこの年代に刊行されたもの。
 北斎75歳の天保5年(1834年)、風景絵本の傑作「富嶽百景」初編を上梓。この書中に画狂老人卍と署し、百有十歳までの長寿と、それに伴う作画への情熱を跋文で表明。北斎はこれ以降、木版画界では絵本や絵手本を除き、錦絵の分野から急速に遠ざかった。
 最晩年の精力を、動植物や宗教的題材、あるいは和漢の故事古典に基づく歴史画や物語絵など、肉筆画の分野に傾注した。北斎は、嘉永2年(1849年)、90歳の生涯を閉じた。

〇富岳百景図鑑

富嶽百景図録

富嶽百景図録

葛飾北斎

葛飾北斎 (新潮日本美術文庫)

葛飾北斎 (新潮日本美術文庫)

北斎漫画

葛飾北斎 <初摺> 北斎漫画(全)

葛飾北斎 <初摺> 北斎漫画(全)

北斎肉筆画大成

北斎肉筆画大成

北斎肉筆画大成

北斎の世界

北斎の世界―Hokusai

北斎の世界―Hokusai